Unnamed Camp
前提
Scrapboxの共同編集に参加するのは初めて
Scrapboxが真価を発揮するのは共同編集だよね!と言いながら
まだ全ページに目を通していない
率直な感想
「この一文」に対してコメントを書けるのは面白い
コメント欄に書くとなると感想が漠然とするのは不可避
というか「感想」にしかならない場合が多い
逆にチャットだと文脈を保持しなければならない
好きな時に好きな場所に文を追加できるのは大きな強み
自分のコメントが人の流れの邪魔にならない
ページの書式が統一されないから自分で自分を縛ることがない
箇条書きだったり文章だったり
それが混ざったり分かれたり
目の前で誰かの文章が追加されていくのは見ていて楽しい
でもたまたま遭遇するから良いのであって、積極的にライブ感を得たいわけではない
窓のそばに来た小鳥を見るのは楽しいが、バードウォッチングに出かけたいわけではない
たまたま遭遇したい(謎の日本語)
テロメアの有効性を実感した
自分ひとりでScrapboxを使っている時はちょっと煩わしいので非表示にしている
自分で追加したものはだいたい新旧が判るから可視化の必要性があまりない
しかし見せるための公開プロジェクトはテロメアが見えていたほうがいいのかもしれない
が、やっぱり自分ひとりで書いている時は気になってしまうんだよなあ
自分でページを作るのは勇気が要る
自分が書いた記述を別ページに切り出してもらったら嬉しかった
自分で概念を打ち出すのは自分のScrapboxにAtomicなページをほいほい作れるようになってからでいいかもという気持ちではある
ここに書いておいて、Unnamed Campに共有するとか
自分の思考をUnnamed Campにばかり書くと自分自身の蓄積を感じにくくなる恐れもある 「軸足」は意識する必要がある
認識のためのメタファーを常用している人が周りにいなかったので、ずっと一人でイメージを捏ね続けていた
一方すんなり合わないと、チャンネルを合わせて飲み込むのにやや認知資源を消費することがわかった
メタファー使い同士でそれが起こるなら、メタファー使いじゃない人から見たら自分の話は相当な負荷になる可能性があるのか…?と思ったり
相手のためのメタファーと自分のためのメタファーは、ひと目でその区別がつくとも感じた
単純化されたか複雑化されているかは直感的にわかる
それは当たり前か
プラスに働いていること
自分が馴染む世界が展開している
「居場所」を感じる
思索の深度が自分と近いかそれ以上の人から得られる学び
血肉化が容易
「血肉化」というワードの是非は置いておくとして
糸口さえ掴めば自動的に思考が展開するという、その糸口を得られる
(関係あるようなないような気持ち)
私もいつか本書きたい
その手前に本を書けるような脳味噌をセッティングしたいという気持ち
「本を書く」ということには私の中では「自己の体系化」という意味合いが強い 私は私になりたい
私は私になれた、と伝えたい相手がいる
別に自伝を書きたいわけではないが
勉強が必要
本を読むのがしぬほど苦手
なので、『独学大全』は役立つだろう
知性が足りていない実感
「知性が足りていない」とはどういうことか、ということは考える必要があるけれども